持ち物がいっぱいです (ポケモンGOからの考察)

贅沢な悩みだとは自覚しているけども、

持ち物が多すぎる。

捨てられないものが、多すぎる。

それは、身ひとつの自分に、自信がないから。


環境の変化に対応するのは得意。

そう言い張ってたのに、いつのまにか、

自分で自分をがんじがらめにして、動けなくなってる。


だから、旅に出たくなる。

変えられない自分に、せめてもの変化を与えるために。


でも、そうすることで、もっと、日常がやめられなくなる。


旅は、中毒。



旅の持ち物が少ないのは、

何も持たない生活、自分自身が持ってる生活への、

憧れなのかもしれません。


解決策、いまだつかめず。

いまここ、とか②

自分の居場所はここじゃない、ここじゃない、

と呪文のように言い続けて、

自己暗示にかかっている。


私が、ここじゃない、って言って、

泳ぐ練習もせずに浮き輪の中でどこかへ流れている間に、

ここで泳ぐにはどうしよう、

と一旦「ここ」を肯定し、

練習して、

川を遡れる人がいる。


その人は、もう「ここ」にはいない


それを見て、焦るけど、

泳げない言い訳を勝手に考えて、

浮き輪の中でもがいて、

次の場所を夢見てひとりごちる。


「置かれた場所で咲きなさい」が真理なのはわかっていて、

「飽きっぽい」が言い訳なのも知っている。


「決心はムダ」っていうのも、聞き飽きているけど、

じゃあどうすれば、ってまた、頭の中でぐるぐる考えて、

気付いたらまた、日常の濁流に呑まれていて。


思い切って〇〇したら、って考えても、

思い切れるわけでもなく。


思えば、自由人とか標榜しても、

誰かの、何かのバックアップがないと、

何もできなかったこれまでだったんじゃないか、とも思う。


帰ってくる家があるから、家出できた

復学できるから、留学できた

仕事があるから、休暇で海外に飛び出せる。


ここじゃない、ここじゃない

って思っても、

会社をやめたらどうなるのよ、とか、

真っ暗すぎてわからない。


背負うものがない今でさえ、自分のエゴでがんじがらめなのに、

責任ができたら、どうするのよと。

 

ほんと、どうしよう。

いまここ、とか。

いまここを楽しむって、難しい。


急に休みがとれて、がまんできなくて行ったセブ。
そこで、改めて実感した。

深呼吸しても、15秒後には、このあと何しよう、って考えてしまう。

スパいって、2時間…片付けとか含めて30分、そしたら16時半だから、出るまであと1時間半、最後にはシャワー浴びたいから…その前にアイス食べないと…!

と。
ほんとは目の前の海を、何も考えずに見ていたいのに。

何も考えずに、ヨガの姿勢とか取ってみても、視線が気になるし。
目をつぶって寝転がると、睡魔に負けて、日焼けしてる。
まぁいいかってなるんだけど、何もしない、ってのは結局うまく達成できてないことに気づく。
写真撮ったり、ネット見たり、今回は極力減らしてみたけど、記録自体はしておけばよかったかなぁとも思う。

でも、記録、ってのも過去を思い出しながら書くことだとしたら、結局「いまここ」にはいないんだよね。
難しい。

今回振り返って、本当にその時を楽しめてたなぁって思うのは、食べてる時と、マッサージ受けてるときに寝ちゃう直前の無の瞬間と、記憶にないけど、寝てる時、それと、カジノのカードを待ってる一瞬。

そう考えると、本能に近いことをやってる時なのかもね。

お散歩

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散歩できるくらいには体力あるし、

きれいなものをきれいだと感じられるくらいには心生きてるし、

週末だけで12時間飲むくらいには胃も元気だし、

それ以上に、それを一緒に楽しんでくれる友達がいるから、

明日からもがんばれる気がするんだよね。


クリーニング屋いけなかったし、

部屋片付いてないし、

病院いけなかったし、

週明けに仕事持ち越しそうだけど。